しーらかんす式

音楽と日本語と中国語のブログ

中国、「独身の日」と水滸伝

もはやワイドショーの季語と化した感すらある中国の「独身の日」

coelacanthidae-style.hatenablog.com

刻一刻と増える売上高に関係者が大騒ぎする映像が、日本のお茶の間のテレビに映し出されます。

まあ景気がよくて結構とは思いますが、あの露骨さにはうんざりです。だってアリババの売上がいくらになろうと消費者には関係ないでしょ。まだ東証の上場セレモニーのほうが理解できますよ。

でも今年はちょっと興味深いシーンがありました。

淘宝のセラーらしき男女が、商品を宣伝していたんです。
場所は淘宝が用意したらしき特設会場。ちょっとぶっ飛んだTV通販みたいなライブ配信です。

その淘宝セラーらしき男女は、二人して着ている革ジャンを幅広の、いかにもなまくらっぽい刃物でバンバン切りつけながら
「この革ジャンは強い!ほら、切れないし破れない!すごいよ!買いだよ!」みたいに叫び続ける。
そして、それを取り巻き大喜びしている関係者たち。

こういうの、どっかで見たことあるぞ…。そうだ、水滸伝だよ!

水滸伝は108人の好漢の活躍を描いた物語です。108人の好漢は、たいてい役所をクビになったり道を踏み外したりした江湖の士。財産も定収入もないので、生活に困ると市で芸や物を売って日銭を稼ぐわけです。
そんな理由で水滸伝には大道芸や物売りのシーンが頻繁に出てきます。

中でも人気なのが青面獣の楊志が刀を売ろうとする話。

街のごろつき、没毛大虫牛二に「そいつが宝刀だという証拠を見せろ」と絡まれた楊志が、見事な腕前を披露するくだりです。

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まずは原文。

“甚么鸟刀,要卖许多钱!我三百文买一把,也切得肉,切得豆腐。你的鸟刀有甚好处,叫做宝刀?”

杨志道:
“洒家的须不是店上卖的白铁刀,这是宝刀。”

牛二道:
“怎地唤做宝刀?”

杨志道:
“第一件砍铜剁铁,刀口不卷;第二件吹毛得过;第三件杀人刀上没血。”

“你敢剁铜钱么?”

杨志道:
“你便将来,剁与你看。”

牛二便去州桥下香椒铺里,讨了二十文当三钱,一垛儿将来,放在州桥阑干上,
叫杨志道:
“汉子,你若剁得开时,我还你三千贯。”

那时看的人虽然不敢近前,向远远地围住了望。
杨志道:
“这个直得甚么。”

把衣袖卷起,拿刀在手,看的较胜,只一刀,把铜钱剁做两半。众人都喝采

出典:施耐庵水滸伝』第十二回 梁山泊林冲落草 汴京城楊志売刀
  • 洒家[sǎjiā] :一人称。「それがし」
  • [jiāng]:持つ、取る

 

そして吉川水滸伝です。

「そうよ、三十文の刀だって、豆腐や蓮根ぐらいは切れらア。三千貫の宝刀なら、いったい何が斬れるというのだ」
「聞くがいい。銅や鉄を斬っても刃こぼれ一つしない」
「ふん。それだけか」
「髪の毛を吹きかければ、毛も斬れる。――名づけて吹毛ノ剣という」
「洒落たことを言やアがる。それで生きた人間は斬れねえときては、なンにもなるめえ」
「斬ッても、刃の肌に血の痕をとどめぬというのが、この宝刀の鍛えだ。さあ、それだけの説明で充分だろう。退いてくれい」
「いや、おもしれえ。そんならこれを斬ッてみろ」
 牛二は、一トつかみの銅貨を、州橋の欄干の上に、塔みたいに積み重ねて。
「さあ、そこの騙り野郎。ここへきて、この銭を見事斬ッてみろ。斬ッたら、三千貫くれてやるが、斬れなかったら、ただではおかねえぞ」
 群集はわッと輪をひらいた。名うてな街のゲジゲジと、刀売りの大言壮語。どうなるやらと、往来はいよいよ山をなすばかりである。
「……よしッ、見せてやる」
 楊志はついに欄干の前へ寄っていった。じっと、銭の一点を見ていることしばし、抜く手を見せずとは、その間髪のことか。――二つに斬れた銭の数枚が、刃の両側へバッと飛び、しかも欄干には傷痕も残さなかった。
「やあ、斬れたっ。ほんとに、斬れたわ」
 どよめく見物人の喝采を尻目に、毛無シ虎は、なお躍起だった。

出典:吉川英治『新・水滸伝講談社吉川英治 歴史時代文庫


いや~、吉川英治ローカライズはお見事ですね!牛二が江戸っ子化していますw

三國志でも劉備張飛が市で物売りをしていたことが語られていました。
水滸伝のように細かく描かれてはいませんが、張飛には客と騒々しいやり取りなぞしながらお肉の実演販売?をしていただきたい!


というわけで、時代ごとに形を変えながら現代まで脈々と続く中国人の胡散臭いビジネスモデル?を、「独身の日」のテレビ報道に垣間見てしまった日でした。

日本でも昔はこういう商売が行われてたんだろうけど、バナナの叩き売りくらいを最後に、すっかり廃れてしまったよね。